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【CHAPTER1】夢見ヶ崎歴史トリビア

column①テレビ番組をヒントに生まれた夢見ヶ崎歴史トリビア

プロデューサーIさんからアドバイスをいただいた。 歴史にはいろいろな説があって、確証が得られている事実も少ない。 後から推測した部分も多い。 だけど、もっと一般の人に分かりやすく、魅力的に伝えるには 簡潔な言葉で示したほうがいい。 文字数を思い…

CHAPTER1夢見ヶ崎歴史トリビア プロローグ

「物語の背景」 地域の歴史をテーマにした絵本『ゆめみがさきのふしぎにゃトンネル』。夢見ヶ崎動物公園にすむ猫・ブサといっしょに、縄文時代までさかのぼって、タイムトリップする物語です。CHAPTER1では、夢見ヶ崎の歴史トリビアをご紹介します。時代と…

【夢見ヶ崎歴史トリビア10】環境がV字回復したきっかけはひとりの主婦の声だった

川崎が日本一の「工業都市」だったことは教科書でもおなじみですが、その後、川や大気の汚染から、奇跡的な復活をとげた「環境都市」として、今注目を集めています。子どもの遊び場である自然を守りたい。ひとりの主婦の声をきっかけに、大きな輪となり、地…

【夢見ヶ崎歴史トリビア⑨】江戸城は夢見ヶ崎につくる予定だった

江戸城を築いたことで有名な武将、太田道灌。じつは夢見ヶ崎と深いつながりがあるんです。道灌は見晴らしの良い好立地に目をつけ、この地に築城を計画していました。しかしある晩、武将にとって大切な兜を鷲に持ち去られる夢を見て築城を断念。この伝説から…

【夢見ヶ崎歴史トリビア⑧】夢見ヶ崎動物公園には天地山海の神仏が集まる

夢見ヶ崎動物公園に初めて訪れたとき、驚いたのは動物の檻のすぐ隣に神社や寺があること。もともと街なかにあった天照皇大神、浅間神社、熊野神社、了源寺が、土地を確保しやすい加瀬山に移築されたのだそう。おかげで、天地山海の神仏が大集合。学業、健康…

【夢見ヶ崎歴史トリビア⑦】多摩川は「暴れ川」と呼ばれ氾濫を繰り返していた

野球やサッカー、サイクリングなど、市民の憩いの場として親しまれている多摩川の河川敷。でも、昭和初期まで多摩川は何度も氾濫を繰り返し、「暴れ川」と呼ばれて恐れられていたそうです。明治40年、43年と立て続けに大洪水に見舞われ、工場や家が大きな被…

【夢見ヶ崎歴史トリビア⑥】加瀬山には古墳が7つのこっている

「古墳の上に動物園!?」。夢見ヶ崎で初めて出会った歴史トリビアがこちら。しかも、1つや2つではなく、広場の片隅や小道、いたるところに7つものこっています。古墳時代、この地に有力な豪族が現れ、代表的な加瀬白山古墳は、全長87m、高さ10mと、関東…

【夢見ヶ崎歴史トリビア⑤】二ヶ領用水をつくったのは あの徳川家康だった

家康と言えば、将軍のお膝元・江戸。川崎との縁はあまり知られていませんが、「江戸の食料庫」としてこの地を重宝し、新田開発に取り組みました。二ヶ領用水は、農業用の水をひくために1597年から14年の歳月をかけて完成。当時の川崎は見渡すかぎり田んぼ。…

【夢見ヶ崎歴史トリビア④】JR南武線は 人ではなく「砂利」を運んでいた

南武鉄道(現在のJR南武線)が開業した1920年代より前は、主に馬車が使われていました。鉄道をつくった理由は、多摩川の川原で採取した砂利を運ぶこと。その名も「多摩川砂利鉄道」。旅客がメインになったのは、1930年代以降のこと。日本電気や富士通信機製…

【夢見ヶ崎歴史トリビア③】6000年前、加瀬山は海に浮かぶ「島」だった

幸区の歴史は、なんと縄文時代までさかのぼります。夢見ヶ崎動物公園がある加瀬山は、6000年前、海に浮かぶ島でした。自動車がなかった時代、船は食料や燃料を運ぶための重要な手段。海に囲まれた好立地を生かし、貿易で栄えました。当時の人がゴミ捨て場と…

【夢見ヶ崎歴史トリビア②】「越路」の前の地名は「恋路」知られざる伝説があった

加瀬山の近くにある「越路」は、明治まで「恋路」と呼ばれていたことをご存じですか? 地名にはこんな伝説が残されています。日本書紀にも登場するヤマトタケルがこの地で、オトタチバナヒメに出会った。ヒメに会うために、日吉から加瀬山へ通った道が、のち…

【夢見ヶ崎歴史トリビア①】歴史のナゾを解き明かした重要遺跡がラゾーナの下にある

縄文時代➡弥生時代の順番は、今では常識。でも長い間、専門家ですら、どちらの時代が先か分かりませんでした。それを明らかにしたのが、日吉分館のそばにあった南加瀬貝塚。貝塚の地層が、歴史のナゾを解き明かす決定的な証拠となったのです。貝塚の土は、洪…